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今帰仁城年表
年代 今帰仁城主の移り変わりと出来事 備考
1383年 北山王怕尼芝明と交易を行う(計6回) 北山王の時代
1395年 北山王a、明と交易を行う(1回)
1396年 北山王攀安知、明と交易を行う(計11回)
1416年 攀安知、中山王尚巴志に滅ぼされる(一説には1422年)
1422年 尚巴志の次男尚忠、北山(今帰仁)監守として派遣される 監守の時代
1429年 南山王、中山王尚巴志に滅ぼされ、三山が統一される
琉球王国が誕生する
1469年 琉球王国、第一尚王統が滅び今帰仁城の第一監守も離散する
尚円王が琉球国王となり今帰仁城に第二監守が派遣される
1609年 薩摩による琉球侵攻がおこなわれ、今帰仁城は焼き討ちにあう 薩摩による支配
1665年 北山監守は今帰仁城から首里王府に引き揚げる
1749年 山北今帰仁城監守来歴碑記が建立される
1879年 廃藩置県により琉球王国は消滅する 近代現代
1930年 今帰仁城跡入り口に鳥居が建てられる
1943年 今帰仁城に北山神社の建設計画がおこる
1945年 沖縄戦、日本の敗戦で沖縄はアメリカの統治下に置かれる
1972年 本土復帰、今帰仁城跡は国の史跡に指定される

今帰仁城の起源は不明

年表には主なできごとをのせました。北山王の時代より前には 按司(豪族)による地方支配の時期があります。今帰仁城は有力な按司が造ったと 考えられていますが、何時、だれが造り始めたかはわかっていません。

歴史のながれ

歴史のながれをおおまかに見てみると、按司による地方の支配--- 琉球王国の成立---薩摩の侵略---琉球王国の消滅---日本による皇民化教育 ---アメリカの統治時代---日本への復帰、と琉球王国から日本沖縄へと移り行く 歴史のながれをみることができます。

転換点となったできごと

とくに琉球王国のおおきな転換点となった出来事は薩摩の侵略です。 薩摩の軍勢は王府である首里城ではなく、今帰仁城に最初に攻め入った ことが印象的です。たしかに奄美を侵略したのち南下して琉球北部にある今帰仁城を討ったと 考えることはできますが、疑問はのこります。

グスクに建てられた鳥居

今帰仁城まえに建てられていた鳥居の土台 歴史文化センターの前庭に鳥居の土台が展示されています。 鳥居=神社は琉球の自然崇拝や祖先崇拝とはまったく異なった宗教です。 今帰仁グスクは神社に変えられようとしましたが沖縄戦がはじまり実現しませんでした。 皇民化教育のおこなわれた痕跡と考えられます。

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