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今帰仁城の理解を深めることば

このページでは世界遺産に認定された今帰仁城
(なきじんじょう、なきじんグスク)の代表的な言葉と解説をのせました。

美しい城壁

今帰仁城の城壁は波打つような曲線をえがいており、その美しさが古来より讃えられてきました。

曲線が美しい城壁

いつ、だれが造ったのか?

12世紀後半から13世紀に造り始めたようですが、だれが造り始めたかはわかっていません。発掘調査によると15世紀 にかけて山頂部分が拡張されていったようです。増改築をしながら15世紀始めには完成期にはいったと考えられています。

古生代石灰岩の石積み

「野面積み」とよばれる石積み 「野面積み」の石積みは野趣にとみ重厚さがあります。

古生代石灰岩にはアンモナイトの化石がみられる。 今帰仁城付近の石にはアンモナイトの化石がみえる。

今帰仁城の城壁の石は、切り石ではなく割ったままの状態で積まれたもので「野面積み」と呼ばれ、 他の琉球のグスクにはない重厚さがあります。また横方向に目地がとおっているように見えます。層が発達しているためです。

この石は古生代石灰岩とよばれ、古い時代の石でアンモナイトの化石が出てくることがあります。 他のグスクは琉球石灰岩とよばれる軟らかい石が使われています。これは新しい時代の石灰岩です。

城壁の規模

城壁の総延長は1.5キロメートル、高さ最高6メートル、幅最高4メートル。総面積は7万8千平方メートルで 首里城を除く琉球のグスクのなかでは最大級の規模をほこっています。

城壁は復元したものか?

城壁の修復は1980年より文化財保護委員会によっておこなわれてきました。写真測量をおこなったうえで 専門の石工の手によって石積みが修復されました。志慶真門郭の城壁は保存状態がよかったため修復の際の参考に されました。

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琉球のグスクとはなにか?

世界遺産の正式名称は「琉球のグスクおよび関連遺産群」となっています。グスクとはなんでしょうか。 琉球のグスクは城主の居城というだけでなく宗教的な性格が大きいのが特徴です。

グスクとは?

グスクは「城」の字をあてるため一見すると戦いにそなえた城郭を思いうかべます。琉球統一以前の三山時代までは按司 (あじ=琉球初期の支配者)の勢力争いがあったようです。要塞としてのグスクがつくられ、グスクの守り神に祈願したり まつりごと(祭祀)をおこなうために聖域をつくったとも考えられます。

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北山王と北山監守

琉球統一までは北山王が、統一後は北山監守が今帰仁城主となりました。

北山王の栄華と滅亡

各地方の按司(あじ=琉球初期の支配者)がたがいに勢力を競いながら北山、中山、南山と三山時代ををつくったと 考えられています。 中国の史書「明実録」によると北山王は三人おり、名前は怕尼芝(はにじ)、a(みん)、攀安知(はんあんち)です。

怕尼芝(はにじ)は1383年中国(明)に入貢し、中国(明)と進貢(しんこう)貿易を開始しました。 北山とは北の小国家の意味でこのとき中国よりあたえられた呼び名です。 怕尼芝(はにじ)の交易回数は6回。a(みん)は1回、攀安知(はんあんち)は11回の交易をおこないました。

歴史文化センターに展示されている陶磁器類は中国や東南アジアとの交易によってもたらされたものです。 北山王の支配地は琉球北部から奄美大島にまでおよび、北山王の栄華をうかがい知ることができます。

1422年、北山王攀安知(はんあんち)が中山王尚巴志(しょうはし)に滅ぼされ約100年間つづいた北山王の 時代が終わりをつげます。

北山監守

琉球統一をはたした中山王尚巴志(しょうはし)は支配体制を確立するため、北部地方に見張り役を派遣します。 これが北山監守です。監守は王の子弟があたりました。薩摩の侵略ののち1665年に北山監守が首里にひきあげるまで  およそ200年にわたり今帰仁城を居城とし、政治的、文化的繁栄をもたらしました。

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今も生きつづける琉球の信仰

薩摩の侵略ののち1665年に北山監守が首里にひきあげると管理がいきとどかず今帰仁城は廃城となります。 それでも節目節目の祭祀は続けられていたようです。

拝むひとびと

こんにち、ふだんから城内やその周辺で拝むひとびとの姿をみかけます。城内にウタキ(御嶽)や拝所があり年間を通して 拝むひとは絶えません。 琉球の時代からつたわる祖先神への信仰がこんにちも続いており、沖縄のひとびとのよりどころとなっています。

数名の家族の拝みから40〜50名の門中(もんちゅう)の拝みの行事まで幅ひろく、近年までは海神祭(うんじゃみ) とよばれる古式ゆかしい祭祀がおこなわれてきました。

ウタキ(御嶽)とは?

ウタキは神の天下るところといわれ、聖域とされています。今帰仁城内には二つのウタキ(御嶽)があります。 第一のウタキは「テンチジ」とよばれ、男子禁制の聖地とされていました。第一のウタキには今帰仁城の守護神が降臨します。 興味深いことに神には名前がついていて、「琉球国由来紀」によると第一のウタキの神は「テンツギノカナヒヤブ」といいます。

ウタキのひとつはテンチジとよばれる 第一のウタキ「テンチジ」

第二のウタキはソイツギとよばれる 第二のウタキ「ソイツギ」

神人(かみんちゅ)

琉球の時代、神人(かみんちゅ)が神事を執り行いました。神人は女性で、支配者の女兄弟がそのつとめにあたりました。 琉球王国時代には神人(かみんちゅ)が組織づけられており、政治的支配に大きな役割をはたしました。 神人のまとめ役をノロといいました。

現在もノロはおりますが高齢化のため、残念ながら古式ゆかしい祭祀は行われなくなっています。

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門中と拝み

今帰仁城にはいちどに大勢のひとびとが拝みにくることがあります。かれらを門中とよびます。

門中(もんちゅう、むんちゅう)

琉球王国の時代、階級制度が整備されました。氏族と平民(百姓)にわけられていました。王府に仕えることのできるのは 氏族階級です。氏族と認められるために系図を王府に提出し認定を受けます。系図につらなる人々の集団が 門中です。門中の結びつきは強固なものとなっていきました。

門中の拝み

門中の拝みを今帰仁廻りとか今帰仁上り(なきじんぬぶい)と呼びます。五年または七年に一度二十箇所ちかい 拝所やゆかりの場所をまわり、拝みます。40人から50人の門中になるとバスをチャーターしてきます。

なぜ門中はいまも拝むのか?

今帰仁城の西側にはクバのウタキ(御嶽)があり、琉球開闢の神(琉球をつくった神)が降臨するとされています。 今帰仁城内には北山王や北山監守の拝んだ守り神や北山監守の火の神(ひぬかん)など、王家にゆかりのある拝所が多くあります。

門中のひとびとは王家に仕えた氏族階級の子孫です。だから門中は王家ゆかりの場所にもうで、王家ゆかりの神を 拝むのではないでしょうか。琉球王家は失われましたが王家ゆかりの神はいきているのです。

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中国、東南アジア諸国との交流

琉球王国は中国、日本、東南アジア諸国との中継貿易によって多大な利益をあげました。今帰仁城から出土した陶磁器 からその一端をかいまみることができます。琉球のおこなった進貢とは何だったのでしょうか。

今帰仁城は交流の拠点であった

琉球王国は中国(明)と進貢(朝貢)という交易をおこなっていました。進貢とは琉球国王が中国皇帝に対し貢物 (みつぎもの)をたずさえて行き服従を誓うことです。中国皇帝は琉球国王に返礼の品をおくり、琉球国王として承認 するのです。これを冊封(さくほう、さっぷー)といいます。

属国となった結果として、自由な貿易がゆるされ東南アジアへの進出も可能となったのです。当時中国がアジア世界を 支配し、自由な渡航を禁じていました。そのなかにあって琉球は交易により独自の文化を築いていったのです。

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世界遺産

今帰仁城は2000年12月に世界遺産となりました。

世界遺産とは?

ユネスコ(国連教育科学文化機関)のさだめる「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産 条約)」にもとずいて登録された文化遺産および自然遺産のことです。2005年7月現在、137カ国、 812件が登録されています。

2000年12月、日本では11番目に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」 が登録されました。九つの遺産群全体として、琉球の歴史や文化の特質を表していることが認められたのです。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の登録理由は?

世界遺産に登録されるためには六つの登録基準のうち三つ以上をみたすことが条件となります。 要約すると以下の三点です。

1.琉球王国のグスクを中心として、中国、日本、東南アジア諸国との交流によって、琉球独自の文化がきづかれた。
2.琉球王国のグスクは琉球社会の象徴的存在として、こんにちまでひとびとの精神的よりどころであり、 失われた琉球文化の証拠である。
3.琉球王国のグスクは琉球独特の信仰のかたちをあらわしており、ひとびとの生活や精神文化としてこんにちも いきつづけている。

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このページの内容
言葉と解説

美しい城壁
琉球王国のグスクとはなにか
北山王と北山監守
今も生きつづける琉球の信仰
門中と拝み
中国、東南アジア諸国との交易
世界遺産